日本条約改正史の研究一井上・大隈の改正交渉と欧米列強一(藤原明久 著)書評
(図書新聞 2004年9月25日 付)

明治政府の困難な条約改正交渉 「法律問題」に視点を定めて入念に描き出す 岩谷十郎


 徳川幕府の締結した安政の五カ国条約が「不平等」条約であったことは、今では中高生でも知っている事実である。その「不利」な条約を締結した幕僚たちの意識の根底に「封建の制度習慣(ならい)」を見たのは福澤諭吉であった。
 統一した司法権が確立されていなかった幕藩体制下の裁判は、いわば属人主義的で、各藩の行使する裁判権は他の藩の者には及ばない。したがって被告が他藩の者の場合、彼は自らが所属する藩に引渡され、そこで吟味のうえ処断を受けた。この幕末期日本の「常識」が、外国人被告をその国の領事による裁判に委ね、日本の裁判所の関知しないものとする領事裁判の制度をたやすく容認した背景にある、と福澤はいう(『通俗外交論』)。この「先代のツケ」を支払わされる立場にあった明治政府が、苦渋を強いられながらも困難な条約改正交渉を重ねてゆく姿を、本書は、治外法権撤廃を目指しての法典整備や外国人裁判官、そして裁判管轄問題といった「法律問題」に視点を定めて入念に描き出すのである。

 実際、改正交渉に臨む各国の代表たちは、このアジアの新興国に対して意地悪な試験官のように臨んだ。対日交渉において各国とも、利害の一致するところではこれを「原則」として歩調を合わせたが、相互の利益が衝突する場面においては、大っぴらに手前勝手な主張をすることを憚らなかった。施行されたばかりの日本刑法の適用に関してドイツは、日本の刑事裁判に服して有罪宣告を受けた自国民を、刑罰の執行を免れるために日本に引渡すことを拒んだ。また外国人裁判官を任用する混合裁判所を開設するという日本側からの妥協案に、フランスはイギリスヘの対抗から、日本語・英語のほか仏語を混合裁判所の公用語として強く要求した。列強諸国間での調整の結果、裁判公用語は結局日本語のみとなり、英語はあくまでも公用の外国語として用いられることになった。鮮やかに外交交渉の現場が再現されるさらに外国人裁判官の任用にあたっては、憲法上の解釈から日本国籍を取得する必要性が唱えられた。ドイツの帰化法だとドイツ国籍を失わないのだが、イギリスの帰化法だと、イギリス国籍の回復に何年もの手間がかかる。この事情から、日本の法廷にドイツの裁判官が立つことはあってもイギリスの優秀な法律家は日本への帰化をいさぎよしとしないであろうとの観測から、イギリスは、帰化した外国人裁判官はもはや日本人であるとして日本法の適用を受けるべきであるとの日本案に同調したりもした。列強諸国間に存した角逐が相互抑制的に作用し、結局は日本提案の最初のラインに落ち着くこともあったのである。

 本書の特色は、交渉当事国の外交文書が博捜されることにより、実に鮮やかに外交交渉の現場が再現されている点であろう。例えば、第13回予備会議席上のことである(明治15年6月1日)。井上馨から出された条約改正案に「異議を申し立てる箇所が見当たらない」とするドイツの意見に、ロシア、オーストリア、イタリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、スペインの各国が同調し、アメリカも讃辞を惜しまなかった。フランスに至っては、同案に「自由進歩の精神」の跡を見る、とすら発言した。ここまでが日本の「外交文書」の語るところである。ところがひとり同案に不満を覚えていたイギリスは、英国公使館に各国の公使を招き、意見交換の末、当初賛意を示していた国々は、実は同案を本国送致することのみに同意したのであって、内容への賛同ではなかったとの共通見解を引き出した。このイギリスの舞台回し的な役割は、イギリスとフランスの外交文書の読み合わせから初めて浮かび上がってくる事実なのである。つまり改正交渉は、もはや単純な「外圧」ということばではすまされないほどに、列強諸国の思惑と井上馨や大隈重信らの提示する改正要求とが複雑に交錯する国際政治交渉のドラマに満ちた過程であった。読者は、本書において淡々と記される事実の時系列的な展開の中に、著者のきめ細やかな実証の労を容易に感じ取ることとなろう。

 帝国主義的な支配関係を非西洋諸国に強いた列強諸国は、交渉において容赦なく日本を翻弄した。彼らは「文明国」の証しとして同一の裁判規準(泰西法律の主義=principles of Western law)を相手国に求めたから、彼らから見て「半開」のアジア諸国はとうてい対等な関係など当初から望み得ない。それでも条約の「平等」性を切に求めた森有礼駐英国公使に対し英国外相グランヴィルは、明治9(1876)年の日朝修好条規を引用し、裁判制度が異なる以上治外法権は必要であることを含むように説いた。というのも日本はその段階で既に朝鮮に対して不平等条約を押しつけていたからである。押しつける側という意味では西欧諸国と「同列」にあった日本は、しかし、押しつけられる側として、この時はまだアジア諸国とも「同列」に身を置いていた。だが、やがて条約改正が成り、日本の欧州諸国に対する従属した関係が清算されても、アジアに対する支配従属関係は近代国際社会の中にますます構造化していった。井上馨の夢想した「欧州的新帝国」がいよいよ登場したのである。

岩谷十郎氏 慶應義塾大学法学部教授/近代日本法史・法文化論

戻る書籍紹介のページ][出版トップページ