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ヘミングウェイ『老人と海』(初版・1952年刊)

『老人と海』(「ライフ」誌 1952年)

 失なわれた世代のアメリカが生んだ代表的な作家アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ(1899-1961)の名作『老人と海』The Old Man and The Sea は孤独な漁師とシャークとの戦いが映画にもなり大変な感動をよんだ。本書の初版は雑誌「ライフ」の1952年9月1日の特別号で刊行された。「ライフ」の35頁から54頁までを占め完全新版“A Complete New Book,First Publication”と表紙に明記され、大きさは26.5×30.5センチメートル、現在の週刊誌の2倍で、定価は20セントで発売された。この作品によりヘミングウェイはピューリッツァ賞(1953年)とノーベル文学賞(1954年)に輝いた。
 生涯、釣りと狩猟と闘牛を徹底して楽しんだヘミングウェイは世紀末1899年7月21日にシカゴ郊外のオークパークに生まれ、父は狩猟と釣りを好んだ医師、母は芸術好きの女性であった。1917年高校を卒業すると、町の因襲性に反発して、「カンザスシティー・スター」紙の見習記者となった。
 第1次世界大戦に参加するために軍務を志願したが、目の故障のために採用されなかった。しかしアメリカ赤十字社の野戦衛生隊員としてイタリアに渡り、1918年7月にイタリアの対オーストリア戦線で砲弾をあび重傷を負った。ミラノの病院に送られ、そこで赤十字の看護婦アグネス・フォン・クロースキーにひと目ぼれの恋に落ち、結婚を申し込んだが、8歳年上のアグネスは彼の求愛を受け入れなかった。この経験が彼の束の間の結婚と離婚をくり返している生き方に大きな影を落としていることは、リチャード・アッテンボロー監督の映画「ラブ・アンド・ウォー」In Love and War の中で悲劇的に見事に描かれている。この映画の原作はヘミングウェイの友人ヘンリー・S・ヴィラードの著作『ヘミングウェイ・イン・ラブ・アンド・ウォー』で、アグネスの日記や手紙を基にして1989年に書かれ、ヘミングウェイの実像が初めて知られるようになった。しかし名作『武器よさらば』A Farewell to Arms(1929年刊)ではヘミングウェイとアグネスとの恋愛をモデルにしたものといわれているが、恋人の死をもって終っている。
 戦争の混乱を経験したヘミングウェイはこの最初の恋愛に破れ、ミシガン州の別荘で静養したのち、ハドリー・リチャードソンと結婚した。1921年トロントの「スター・ウィークリー」紙の特派員としてパリに行き、サンジェルマン・デ・プレのカフェ、『マゴ』に出入りして、創作活動をはじめた。またシルヴィア・ビーチが1919年に開いたシェイクスピア・アンド・カンパニー書店に集り、ジョイス、フィツジェラルド、ガートルード・スタイン、エズラ・パウンドなどロスト・ジェネレーションの作家たちと交流し精神的な支えをえた。この頃の作品としては『3つの短篇と10の詩』『われらの時代に』『日はまたのぼる』を出版し、名声を不動のものにしていった。しかし『老人と海』に描かれたように人間の孤独はヘミングウェイを苦しめた。1人の老漁夫が海に出て85日目にようやく巨大なカジキマグロを針にかけ、3日間戦いつづけ、港に帰る途中、カジキはシャークに食い尽くされてしまい、孤独な老人はライオンの夢を見ながら‘The old man was dreaming about the lions’でおわるという話である。
 それから9年後の衝撃的なニュースは1961年7月2日アイダホ州サンバレー近くのケッチャムの自宅で猟銃を口に当て自ら引き金を引き、命を絶つという結末をつげていた。この年はケネディが大統領になり、キューバ危機が迫っていた。ヘミングウェイはキューバより退去せざるをえなくなり、肉体的にも精神的にも名声を持続できなくなったと思い、鬱状態でライオン(勇猛な人、名物男)の夢をみていたのかもしれない。